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書籍:7つの習慣―成功には原則があった! より

〜スティーブン・R・コヴィー (7つの習慣の著者) 〜
原則は自明的な自然の法則といえます。

著者からの挨拶
歴史から学べる最も大切な教訓のひとつ、個人にしても、組織にしても、また文明そのものにしても、
「効果性」を司る不変の原則または自然の法則と調和した行動をとるとき、
必ず長期において繁栄しているということです。

私は常にこれらの原理・原則の普遍性に驚嘆し、かつ謙虚な気持ちを感じずにはいられません。
真の原則は、伝統、社会、宗教、文化または国民性などの障壁をすべて超越するものです。
本書が説明している「7つの習慣」はこれらの普遍的な原則に基づくものなのです。


「7つの習慣」を讃える人々
「7つの習慣」は現在アメリカの経営者や管理者の間で最も広く読まれている本である
効果的な人間関係を築くための原則について、多くの事例を通して判り易く述べた好著。
日本の読者にとっても自己革新のよき指針となろう。

―宮井 仁之助(社会経済生産性本部理事長)


200年にわたる「成功」に関する文献等を研究された成果である本書は、世界の貴重な財産です。
21世紀に向けて大きく変貌しようとしているわが国の経済・社会において「7つの習慣」が、多忙な現代人の良き道標になることを期待します。

―奥田 碩(トヨタ自動車(株)取締役社長)


すべてのものは二度つくられる(P.129)
目的を持って始めるという習慣は、「すべてのものは二度つくられる」という原則に基づいている。
万物にはまず知的な第一の創造があり、それから物的な第二の創造がある。

住宅の建築を考えてみれば、この原則はすぐに理解できるはずである。
一本目の釘を打つ前に、細かなところまですべてが創造されている。どういう家が欲しいのかがまず明確に打ち出される。
家族が集まりやすい家にしたいのであれば、全体から見て、皆が自然に集まってくるようなリビングをつくるだろうし、
いろいろなアイディアを考え、建てたい家の明確なイメージができるまで、頭の中での作業を続けるはずである。

それから、その考えを設計図に描き、建築の計画を立てる。
このすべての作業が完成するまでには、実際に工事にかかることはない。
でなければ、第二の創造―物的な創造―において、家のコストを倍増させるほどの変更をくわえなければならないことになる。

大工には次のような格言がある。「二度測って、一度で切る」設計図あるいは知的な創造で、
本当に欲しい姿が描けているかどうかを確認しておかなければならない。前もって考えておくのである。
それができてはじめて、セメントや木材を使って形づけていけるのである。
毎日、現場事務所に行って、青写真を見て、その日の作業が決まる。つまり、目的を持って始めるのだ。

(中略)

程度こそ違うが、この原則は生活のすべての場面において見られるものである。
例えば、旅行に出かける前には、目的地を定めて、最適なルートを計画するだろうし、
庭で種を蒔く前には、頭の中で花の美しく咲いた姿を思い描くだろう。

また、スピーチするときには事前に原稿を書くだろうし、食事をつくる前には献立を決めるだろう。
針に糸を通す前に、服のデザインはできあがっているのだ。


再びインサイド・アウト(P.466)
ここで、私自身の個人的な体験を紹介したい。
この本の本質をよく示すものであり、その根本にある原則をぜひ理解していただきたい。

(中略)

ある日、私はオフィスの近くにある大学に出かけて行き、図書館の奥に山積みになっていた古い書籍の間を歩いていた。
やがて私は、その中の一冊に大変興味を引かれた。棚から取り出して開いてみると、ある一節が目に止まった。
そして、そこに書いてあった言葉が、私のその後の人生を大きく変えることになった。

私は、何度もその文章を読み返した。
そこに書かれていたのは、要約すれば、刺激と反応の間にはスペースがあり、
そのスペースをどう生かすかが、私たちの成長と幸福の鍵を握っているということだった。

その考えが私にどれほど大きな影響を与えたか、表現する言葉もない。
自分の将来は自分で決めることができると教育されていたが、この「刺激と反応の間にスペースがある」という表現の仕方はとても新鮮であり、
かつ信じられないほどの強い力をもって私の脳裏に刻み込まれた。
そしてそれは、まるで「はじめて真実を知った」ような、「自分の中で革命が起きた」ような、「時至れり」というような思いであった。

私は再三再四その考えについて思いをめぐらせた。やがて、私自身の人生のパラダイムそのものが大きく変わり始めた。
私自身がその刺激と反応の間のスペースに立ち止まり、自分を取り巻く様々な刺激を見つめ始めた。
やがて、自分はこの自分の反応を選択する自由を持っているという実感と共に、喜びが湧き上がってきた。
それに加えて、自分自身は周りに対する刺激にさえなれるということも、あるいは少なくとも影響を与えることができるということも分かった。


個人的な追伸(P.481)
私は、この本の中で取り上げた多くのことに関して、今もなお奮闘努力を続けている。
しかし、それに取り組むことは有意義であり、そこから得られる報いも非常に大きい。
それは、私の人生に意味を与え、愛し、奉仕をし、努力を続ける力の源である。

T・S・エリオットが、私の個人的な発見と信念を美しく表現している。
「我々は探求をやめてはならない。そして、我々のすべての探求の最後は、初めにいた場所に戻ることであり、その場所を初めて知ることである」

7つの習慣―成功には原則があった!レビュー

すべてのものは二度つくられるの項目は蛇足だったかもしれないが、
「7つの習慣」で言うところの「第一の創造」という概念は知っておいても良いだろうということで紹介することにしました。


・雑記

私と「7つの習慣」との出会いはとても不思議なものであった。

私は2001年4月に自ら原則を発見したとき、「これはとんでもなく凄いものを発見してしまった!!」と、驚き驚嘆したものである。

それからというもの、私は様々な文献や資料を漁っていた。
誰か他の人間によって原則を述べられているものはないのだろうか?と。

そんな中、とある本屋の本を一冊ずつ探索しているときに「7つの習慣」と出会うべくして出会ったのである。
なんと、背表紙に書かれている副題には「成功には原則があった!」と書かれているではないか!!

中身を開いてみれば、確かに原則による事柄が書かれていたのだ!!!!
この時ほど不思議な体験というのは、その後にもなかったであろう。

私は自らの道を切り開いて行くことで原則を発見するに至った。
そんなとんでもなく凄いものを発見したわけなのであるが、どうやらすでに世の中で同じものを見つけていた人間がいたとでも言うのか!?

それならば、何故に未だ原則は世の中に広く知られていないのだろう????
少なくとも、それまでの私は「7つの習慣」という書籍を知らなかった
(確かに知っている人は知っていた。国内だけでも100万部以上出ているようでもある・・・「7つの習慣」を置いていない本屋や図書館を探す方が難しい)。
こんなに凄いものがすでに世の中に出ていると言うのに!?一体何故なんだ!?

少し大げさであったが、以上が、私が「7つの習慣」と出会った時の感想である。

この後も不思議な経験をしつつも、最終的には全ての謎が解けるに至ったのである。

そんな私は、今では両手に「老子」と「7つの習慣」をひっさげて原則の存在を世界中に伝えていこうとしているのだ。なんとも奇妙な話である。
「老子」や「7つの習慣」を世の中に改めて広めていくのは、結果的にこの私になる可能性があるということなのだ。

敢えて言うのならば、コヴィー氏は私の言う原則そのものの存在を発見していたわけではなかったのだ。
彼は、世の中が原則的な仕組みで動いていることに気がついたのであって、原則そのものの存在を見いだしていたのではなかったのである。

その点では、原理・原則という概念を提唱している船井幸雄氏も同様であると言えるだろう。

以下、参考に船井氏による著書から一部を紹介しておこう。

天地自然の理に従うこと

どうしてそれだけ伸びることができたのか。もちろん私の会社だけではない。
クライアントの会社の成功例などを含めて考えてみると、そこにひとつの大きな理由があることが、私にやっとわかってきた。
それは、どうやら天地自然の理に合っていたからだ、ということなのである。

世の中には、世の中をつくり、動かしている大きな原理・原則がある。
この原理・原則こそが、天地自然の理だということをわれわれは知っている。
この世の中は、おそらく単純な原理・原則によってでき上がり、運営されているのだろう。

だが、われわれは天地自然の理のほんの一端しか知らない。
いろいろなことを知っているようでいて、実は世の存在の原理、運営の原則の何万分の一も知らないのではなかろうか。
しかし、知らなくても世の中は確実に動いている。その動きのなかに原理・原則がある。
この原理・原則に合ったことを実行していれば、どうやら「つき」がめぐってきて成功するが、
それに反することを行っていれば、「つき」は逃げ、売り上げも利益も下がっていかざるをえない。

図解 即時業績向上法―「つき」を呼ぶ船井流原則経営のすすめ(1989年出版 第一章 第二節より)

参考:2012年の変化はすでに起きている 「百匹目の猿現象」が起こり、大難は小難になった

また、船井氏と同様のことを述べている松下幸之助氏による著書からも一部を紹介しておきたい。

自然の理法に従うこと

経営というものはまことにむずかしい。
いろいろな問題がつぎからつぎへと起こってきて、それに的確に対処していかなくてはならない。
考えるべきこと、なすべきことがいろいろあり、それを過たないということは、確かに容易なことではない。
しかしまた、考えようによっては、経営はきわめてやさしいともいえる。
というのは、それは本来成功するようにできていると考えられるからである。

私は自分の経営の秘訣というようなことについて質問を受けることがあるが、そういうときに
「別にこれといったものはないが、強いていえば、"天地自然の理法"に従って仕事をしていることだ」という意味のことを答える場合がある。

(中略)

そのように、私のいう、"天地自然の理に従った経営"というのは、当然なすべきことをなすということである。
それに尽きるといってもいいかもしれない。
その、なすべきことをキチンとなしていれば、経営というものは必ずうまくいくものである。
その意味では、経営はきわめて簡単なのである。

(中略)

私自身についていえば、そういう点で、なすべきことをなし、なすべからざることをしないようにということを心がけて、ずっと仕事をしてきた。
時として判断を誤って、なすべきことをしなかったり、なすべきでないことをしたりしたこともあった。
しかし、心がまえとしては、なすべきをなし、なすべからざることをしないということに極力、努めてきたつもりである。

限りなき生成発展というのが、この大自然の理法なのである。
だから、それに従った生き方というのは、おのずと生成発展の道だといえよう。
それを人間の小さな知恵、才覚だけで考えてやったのでは、かえって自然の理にもとり、失敗してしまう。
大いに知恵を働かせ、才覚を生かすことも一面きわめて大切であるが、
やはり根本は人知を超えた大きな天地自然の理に従って経営をしていくということでなくてはならないのである。

実践経営哲学 - 松下幸之助(P45-50より)

ここで言われている天地自然の理というものを生み出している、その大本になっている存在こそが原則であると言える。
つまり、船井氏や松下氏も原則の発見者ではないのである。

原則というのは、簡単に見つけ出せるようなものではなかった。

例えば、法則についても同様である。
ある程度のデータ量があることによって、そのデータがとある法則から導かれていることを見抜くことができるのである。
データもないところから、いきなり法則を見抜くことはできないのだ。

原則は法則よりも見抜くためには大量のデータが必要である。
言うなれば、法則といった類のものを大量に集めることで、ようやく自然の原理と言うべき原則を見いだせるようになるのである。

「7つの習慣」を読んだからと言って原則が発見できるというものではない。
原則に沿った生き方についてまとめられているのが「7つの習慣」なのである。

おそらく原則そのものの存在を説いている本というのは、人類史上、私のものが老子に続いて2つ目になるのだろう(現状、他に確認できず)。


参考文献

その2:会社をつぶす社長は80%の”原理原則”を知らない。★★★

その9:あらゆる物事には原理・原則が存在し、まずはそのことを知りなさい、学びなさい★★★★